●最後のシャングリラ

稲城、 亜丁

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稲城県は中国四川省の西南部に位置し、青海チベット高原の東南にあり、横断山脈の東部にある。コンバチベット区の甘孜チベット族を属している。北緯27.30’--29.30’、東経99.56’--100.36’にまたがっている。南北の長さは174 キロで、東西の幅は63キロで、総面積は7323平方キロだ。人口は3.5万人で、チベット族を主体としている。経済的では半ば農業半ば牧畜の地域に属している。

稲城の地理と地ぼうはみなわりあいに特別だ。その北は高く、南は低く、西は高く、東は低く、山々が起伏し、うねっており、草木があおあおと茂っており、山脊と河床がかわるがわるに、一年中雪を頂く高い海抜の山の00峰もあれば、奥深くひっそりとし、秘密で察知しがたい低い海抜の谷間もあるのになっている。また、広ばくとしている草原や、さらさらと流れる谷川もあって、景色が千変万化して、非常に人をと陶酔させる。

北部は高原の広い谷の地域だ。海子山は稲城川にならんで、標高は3600--5000 米、青海チベット高原のもっとも大きい古い氷河の遺址で、稲城の古い氷帽子という美称がある。その氷触れ地形の育ちが完全で、氷触岩盆が空の星のように一面に分布していて、3200平方キロメートルの内に大小の湖が1145箇あって、その規模と数は世界でも少ない。ここは第四紀氷川地ぼうを研究する重要な基地となっている。1982年、その中部では恐龍の歯の化石を発掘しだしましたし、海子山の多くの峰が続いて絶えなく、渓谷が 縦横に交?しており、怪石が林立しており、景色が素晴らしい。

中部は山と平原で、ボワ山と赤土河だ。赤土河は澄みきってきれいであり、魚の群れが行き来している。河畔の牧場は広いですし、原始林は見渡す限り果てしがありません。ボワ山は山の勢が雄大で秀麗であり、四季の景色もはっきりしていますが、冬は雪が一面に真白に降り積り、銀造り白くつつんでいる。春と夏はつつじがいたるところに咲き乱れて、芳ばしくて艷やかであるのを争っている。秋になると、紅葉が火のごとく、いくえにも重なっている林を着色して、とりわけなまめかしい。

南部は高山と峡谷の地域で、我初山が東義河にならびたっている。我初山は海抜5140米、高く切りたって雄大さをますますしめしており、ぬきんでているが、美ぼうの仙女がきちんと雲霓にすわるように、容貌が奇麗であるのを失ないません。もっとも人を陶酔させるのは我初山の秋の景色です。赤い愛嬌、黄色い鮮やかできれいであり、縁の柔和、色とりどりで美しく、野山に満ちているが、厚化粧しても薄化粧しても適当だ。東義河は一匹良い馬の如く、我初山から飛ぶように駆け下り、両岸の古木が高いく聳えたち、切岸がさななりあってけわしくなり、声がゴロゴロと鳴って、瀧がいくえにも重なりあって、山水が相映じて妙趣が横溢する。

我初山と隣り合っているのは、チベット地域で名声を馳せる雪域の神韻つまり稲城の神峰だ。それは三つの雪峰からなるもので、峰の名が五世代目のダライに封ぜられたのだと伝えられている。北のセンナイニチで観世音菩薩という意味で、海抜は6032米だ。南の峰はオーバイユで文殊菩薩という意味で、海抜は5958 米だ。東の峰はカダクタキツで、金剛菩薩という意味で、海抜は5958米だ。稲城の神峰は氷雪に鎖されて、雄大で壮麗だ。山腹の五色海は七色がまだらで、変化に限りがありません。山の麓の草原では、珍しい動物が人間と睦まじくつきあっている。チベット族人民はこれを神山と見なして、参拝者の往来が引き続いて絶えません。

稲城は悠久なる歴史文化を持っている。全県の13箇お寺の中では、雄登寺と貢夏嶺寺は盛名を歌われてい。貢夏嶺寺の建物は宏大で、現存の五四代ダライに贈られた一体の彌勒銅像はまれな文物だ。雄登寺は明代の始めごろにたてられたもので、10万冊の経書を持っており、数百体もの大小の仏像を供えている。その中に九世代目班禅がびやくだんでつくったシャガムニの仏像もある。県内のチベット族は同じ源から出たのだというものの、ばらばらに居住し、また山と河で遠くへだてたので、これによって言葉や服装や生活習慣などの違いを引き起した。濃厚な宗教の雰囲気のもとで、多くのニュークな奥深い人文的色彩を添えた。

稲城は、“奥深い居室で養って人がまだ知らず”素晴らしい田舎だ。彼女の素晴らしい自然風景、古風で飾り気のない民族風俗、神秘的原始的人文景観、これらはとうとう時間と空間のかきねを突破り、青春の情韻と人を迷わす魅力が出て、彼女に愛情を?けたカメラマンたちもつぎつぎと彼女の足下に拝伏させて、一枚一枚の精致で美しい絵で彼女の音容風貌を私たちの前に展開させた。

シャングリラの意味は人間の世外つまりの浮き世を離れた別天地で、最後のシャングリラというのは四川省の稲城の亜丁だ。稲城の亜丁は人間に忘れらたところにあり、ここには人間の最も清い心があり、原始の自然風貌を保存しております。稲城-亜丁の眺めは人類の活動の影響が少ないで、この絶佳な美さは年々静に黙々と人々をまってくる。

稲城-亜丁の発見は最初の人がアメリカの布教士ヨ-サ.ラクで、1928年彼は雲南省の麗江市から出発して四川省の木里県に回り、稲城までの旅行中彼はたくさん写真をとってからアメリカの[地理雑誌]に載った。これは世間を一時騒がせたことで、こんな素晴らしい景色は以前見なかったものだった。みんなはそこが雲南省の麗江と思っていったが、実は、1996年、専門家の確認で、ヨーサ.ラクがそんな時来たところは稲城-亜丁だ。

亜丁の北側は青蔵高原で古代の氷川遺跡となって、現在ここは海子山自然保護区といわれ、自然景観が原始風貌をもって非常に壮観だよ。亜丁の中部は広々としている河の谷で、ここは草原なので様々な野花が咲き乱れて草がよく茂っている。南部は連綿と続いている山脈、違った姿の峰、深い谷間、飛んでいる滝などがうっとりさせる。

ここの原始状態のもの、自由自在にくらしている様々な野生動物、芝生や密林中に鳥が婉曲に歌っている……

昆明--香格里拉--稲城--亜丁八日間撮影旅